安倍政権は、参院選挙中には戦争法について何も語らず、自衛隊への新任務付与や訓練は先送りした。
自衛隊員が「殺し、殺される」現実的危険について政府は何ら語っていない。この点について、自衛隊員の訓練によってリスクが下がるのか、以前の国会での議論を振り返ったわかりやすい以下の文献を読む機会があったので紹介する。
「自衛隊の転機」 政治と軍事の矛盾を問う 柳澤 協二 (NHK出版新書)
2015年9月10日発行
- リスクを理解しているか
・・・私が現在の安全保障論議で危ぶむのは、現場の現実を見ないという点です。
例えば、海外に派遣されて兵站や治安維持を命じられる自衛隊員のリスクについて、政府は、「訓練と情報によってリスクが下がる」と言っていますが、それは机上の空論に他なりません。
・・・自衛隊が行っている訓練そのものは死者が出るほどの危険を伴うものです、・・・しかし、いくら危険な訓練をしたとしても、実際の戦場以上に危険な訓練を行うのは不可能です。なぜなら、訓練は意図的に隊員を殺そうとはしないのに対し、実戦では意図的に殺そうとする敵が相手になります。
それなのに、国会で行われている議論が、「訓練におけるリスクの方が大きくて、実戦におけるリスクの方が小さいから、リスクは極小化できる」という議論の下で行われていることが問題です。あたかも量的な比較だけでリスクをとらえられるという意識で、政治家も含めて皆が納得してしまうのは、やはりおかしいと言わざるをえません。
自衛隊は、「死ぬのが怖いからやりません」とは言えない組織です。けれども、喜んで死ぬ人間など誰もいません。自衛隊員は、現実の戦場の厳しさを理解し、死にたくないから過酷な訓練を受けるのです。そして、それ以外に自衛隊員にできることはありません。
その点を理解せず、「当の自衛隊が言っているのだから大丈夫」という乱暴な議論を政治の場でやってはいけないはずです。
- 納得できないリスクをとってはいけない
そもそも、リスクを下げるためにはどういう訓練が必要なのか、国会ではその理解もなく、議論が進んでいる印象を受けます。
・・・海外任務を自衛隊が行うのであれば、一番大事な訓練はちゅうちょなく引き金を引く、ということでしょう。しかし人間の本来の性質からいって、迷わず相手を殺傷するのは非常に困難であり、人を見たら引き金を引くという反射神経になるまでには、相当の訓練が必要なはずです。
一方で、ちゅうちょなく引き金を引けるようになれば、誤射の可能性も高まります。
・・・また撃つための訓練というものはあっても、基本的に撃たれないための訓練というものはありません。危険を察したらすぐ伏せ、物陰に隠れるといったことは訓練できるとしても、待ち伏せや、路肩に設置した爆弾、民間人を装って近づき自爆するテロが相手では、伏せる余裕はありません。
こちらから引き金を引けば、相手は当然反撃してきます。そこでまったく死傷者が出ないというわけにはいかないでしょう。